『羽根付き』
新年も三日を過ぎたというのに、青葉のお城は相変わらず慌ただしかった。
上様へ挨拶をしにやってくる臣下が、後を絶たないのである。
一年の始まりであるこの時期を特に重んじているため、普段は顔を見せない者も遠路遥々やってくるのだった。
しかし、上様は江戸の将軍様へ挨拶に向かわれてしまい不在。
護衛として将景様も同行してしまい、名代として菊千代さんが来訪者の相手をしていた。
主人が不在の間、私と慎弥は一時的に菊千代さんを補佐するよう申し渡されたのだが…。
「二人にお願いがあるの」
それは菊千代さんの部屋を訪ねた時だった。
傍に置いた見慣れない葛籠を抱え上げ…
「はい、慎ちゃん」
「何ですか、これ?」
差し出された葛籠を受け取る慎弥。
中身が気になったのか、軽く振ると木製の何かがぶつかる音が聞こえた。
「正月遊びの道具よ」
菊千代さんが蓋をあけると、中には羽子板や独楽、かるたと言った道具が入っている。
昔はよく遊んだ物ばかりだが、どうして私達にこれを?
「なんで俺達に?」
慎弥も疑問に思っていたのか、先に質問を口にしていた。
「どうやら、宗泰様が時間を持て余していらっしゃるそうなの。だから、二人でお相手してあげて?」
そう言って、お願いと胸の前で両手を合わせる。
宗泰様のお相手をするのは構わないけれども、それでは菊千代さんの手伝いが手薄になってしまう。
「菊千代さんの方は手伝わなくて大丈夫ですか? 将景様からも頼まれているので…」
私の問いに、彼はにっこりと笑みを返した。
「それなら心配しないで。重ちゃんに死に物狂いで働いてもらうから!」
「えっ…」
「うふっ、口説いてる時間があるんだもの。あたしの手伝いなんて、簡単だと思わない?」
笑っている菊千代さんの声に凄みが増す。
そして、背後に仁王様の姿が見えた気がした。
「そ、そうですね」
「そろそろ行かなくちゃ…。二人共、宜しく頼んだわよ!」
私達は大きな葛籠を抱え、菊千代さんの部屋を後にした。
× × × × ×
「二人して、どうしたんだい?」
庭を眺めていたのか、宗泰様が振り返る。
「ん? その大きいのは?」
目に付いた葛籠を指し、不思議そうに首を傾げる。
「菊千代さんから預かってきたんですよ」
蓋を取ると、中を覗き込みながら驚きの声をあげた。
「へぇ…懐かしい物が入っているねぇ。独楽に双六に、福笑い…」
一つを手にしては、すぐに次の物と持ちかえる。
何度かその動作を繰り返した後、彼の声が嬉しげに弾んだ。
「これなんか面白そうだ!」
「…羽子板ですか?」
手にしたのは一対の羽子板と羽根である。
幼い頃、羽付きをした記憶を思い出し、少し懐かしさを覚えた。
「女子供の遊びではありますが…面白そうですね!」
「そうだろう?」
意気投合したのか、二人が顔を見合わせる。
「慎弥、一勝負どうだい?」
手にした羽子板の一つを慎弥へと差し出す。
「ふっ、受けて立ちます!」
それを受け取るなり、袂から白い帯を取り出した。
何をするのかと見ていると、手際よく袖を絡げ上げ、自由になった腕で何度も素振りを行っていた。
やる気充分といった慎弥に対し、宗泰様はただ笑みを浮かべる。
「では、少し本気でいこうかな?」
「望むところです!」
言葉を交わし、二人は一定の距離を空けた。
「望むところって…」
もしかして、本気でお相手をするつもりなのだろうか。
腕を回し、準備運動を入念に行なっている彼に、不安が押し寄せる。
(まさか…負けた方がどうなるか知らないなんて…)
私が考え事をしている間も、慎弥は腰を落とし相手の攻撃を迎えようとしている。
ひょっとしたら、罰の事を知らないなんて事があるかもしれない。
堪らず、彼に声を掛けた。
「慎弥! 勝ったら駄目よ!」
「ちょ、何でだよ! そこは応援するとこだろっ!」
「あんたねぇ…。宗泰様が負けたら、墨を塗るのはあんたなのよ?」
「………え?」
言いたい事が分かったのか、慎弥の顔が青ざめる。
羽根付きの数少ない決まりごと。それは、羽根を落とした方…つまり負けた方の顔に墨を塗ること。
宣言通りに勝った場合、宗泰様の顔に墨を塗ることになる。
万が一にも、そのような事態が起きてしまったら…。
その後の事を考えただけで、背筋がぞくりと寒くなった。
「お前は優しいねぇ。何も教える事は無いのに…」
からかう楽しみを奪われ、宗泰様は少し残念そうな顔をする。しかし、それも一瞬のこと。
「だけどね…私を甘くみない方がいいよ?」
「「…っ!!」」
鋭い眼光に慎弥だけでなく、私まで圧倒されてしまう。
「では始めようか、慎弥」
「は…はい…」
こうして、宗泰様と慎弥の羽根付き対決が始まった。
結果は果たして――。
× × × × ×
「あはははははっ! 慎弥君も馬鹿だねぇ!」
余程可笑しかったのか、重寿さんは涙を流しながら声をあげる。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」
彼の前には、墨で顔中を…いや顔だけでは足りず、腕や手までも黒くした慎弥の姿があった。
「もう一回、もう一回と続けて、こんなになったと…ふふふっ」
「だあぁぁぁ! もう顔を見て笑わないで下さいよ!」
「いや、だって…ふふっ…。顔、ねぇ?」
笑いを堪えながら重寿さんが私へと意見を求めてくる。
だが、笑い過ぎる彼の様子に、流石に居た堪れない。
「そのくらいにしてあげて下さい…」
「ははっ…。でもさ、普段剣術でも勝てない相手なんだろう? それに羽根付きで挑むとは…」
「勝てると思ったんです。宗泰様も自信があったみたいですし、鼻っ柱を圧し折ってやろうかなって…」
「で、ぼろ負けしたと。くくっ」
「もういいですよ! ちょっと洗ってくる…」
おもむろに立ち上がった慎弥は、無言のまま部屋を出た。
拗ねているのか、声音に若干の苛立ちが混じっていた気もする。
「あ~ぁ…怒っちゃったかな?」
遠ざかる足音を聞きながら、重寿さんが申し訳なさそうに呟いた。
「心配しなくても、一晩寝ればいつも通りですよ」
「そっか。なら、いいんだ」
彼は安心したように笑みを浮かべた。
「さて、俺も菊千代さんとこに戻るかな!」
両手を上げ、思い切り伸びをする。
「それじゃあ、またね」
そう言い残し、彼もまた部屋を後にした。
すると、入れ替わるように…。
『おい、桂華ー!』
遠くから慎弥の呼ぶ声が聞こえてきた。
「はーい!」
答えるように返事をすると、急いで彼の元へと向かう。
この時はまだ、私達の身に降り掛かる事件の事など、知る由もなかった。
ページの先頭へ